引用:http://rugby.necsports.net/topics_detail1/id=954
NECの首藤選手が、現役を引退!!!
正直かなり、驚きでした。
大学時代から、注目をされていた選手というか。かなり目立っていた。
体が小さいにも関わらずといったら失礼かもしれないが、どんな試合でもトライをし、チームに貢献していた首藤選手。
清宮監督が率いていた早稲田大学ですら、その存在は欠かせなかったですよね。
首藤選手のイメージ
ランもともかく、小さいのにハンドオフで相手を振り払ってからトライに結びつけるイメージがつよい。
キレキレのウイングではなく、つよさもあったウイング。
スペースがない場面でも、必ずゲインをしトライを取ってくれる。
これほど信頼できるウイングはそうそういない。
見ていても、ワクワク指せてくれる選手だったな〜。
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関連記事:早稲田の勝因を考えてみた|早稲田大学28-24トヨタ自動車|第43回日本選手権 – ラグビー.com
余談ですけど、ハンドオフってタイミングが大事なんですよね。
いくら腕力が強くてもできるものじゃない。
後藤選手の存在
首藤選手のラグビー人生において、2個上の後藤選手という存在もかかせない。
後藤選手とは…
後藤 翔太(ごとう しょうた )は、日本の元ラグビー選手。ジャパンラグビートップリーグ・神戸製鋼コベルコスティーラーズに所属した。
桐蔭学園高校より、早稲田大学へ進学し、2005年神戸製鋼へ入社[1]。1年目にSH(スクラムハーフ)としてレギュラーの座をつかみ、新人王を獲得。
参照:Wikipedia
ぼくも、この2選手はポジションは違えど似ているなって思っている。
2人とも大分県出身。
高校は神奈川県のラグビー強豪校・桐蔭学園に進学、大学はご存知の通り早稲田大学。
早稲田大学時代
この記事を読んでぼくは、改めて首藤選手のプロ意識の高さを感じた。
こういった考えをもっていたから試合中にもあれほどの活躍ができたんだと納得。
清宮監督に直接売り込む
高校3年の夏。先に早大に入った後藤からの勧めもあり、菅平の早大宿舎に、自身のプレーを編集したDVDを持って乗り込んだ。
清宮克幸監督に頭を下げて直接手渡すと、「おお、そうか」と喜んでくれた。そのかいもあって、早大の推薦を勝ち取った。
参照:トップリーグ最小WTBを支えた出会い NEC首藤甲子郎、現役生活に幕。|NEWS|RUGBY REPUBLIC(ラグビー共和国)
高校生にして、自らを売り込みラグビーを続ける場所を手に入れていた。
大学でトレーナーを雇う
大学時代から「出世払いで」トレーナーを雇って体を作った。
首藤選手の慎重は163cmとてもトップリーグでも2番目の低さとのことですが、サイズでもハンデを補うための手段の1つでしかなかったと思うけど、なかなか学生で時代にできることではない。
※首藤選手が、サイズをハンデと考えていたかは不明です。
NEC入社
早稲田大学を卒業後、NECに入社。
NECはなんといってもディフェンスのチームで。
首藤選手はなかなか試合出場のチャンスがつかめなかった。
アタックが特徴の首藤選手が、なんであえてディフェンスがチームカラーのチームを就職先に選んだのか。
一番自分が成長できる場所
ぼくの勝手な憶測だけど、「一番自分が成長できる場所」だと感じたから何じゃないかなって思います。
大学進学のときだってそう、首藤選手が一番成長できる場所が清宮監督のいる早稲田大学だったんだろう。
トップリーグでは、なかなか出場機会をつかむことはできなかったけど、首藤選手のラグビー人生には学ぶべきものが多くありました。
そして、首藤選手がいたからラグビーを続けてこれたっていう選手も多いはず。
日本ラグビー界の一時代を象徴するような選手が引退することはとても残念です。
お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。
いつか、いろいろなお話しを聞きたいラグビー選手のひとりでした!
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